私の大好きな人達
2月10日
私の人生かけた大切な人達、大切なバンド
THE PINBALLSのワンマンへ行ってきた。
もうこれで名古屋でワンマンするのは何回目だったかな、今ややってくれるのが当たり前みたいになっていて、本当に感謝してます。
しかも今回初のソールド。
見慣れた土地で、こんなにもピンボールズのことだけを観に来た人達がいることが、私にとっても本当に本当に夢みたいで、嬉しくて、すごく幸せだった。
メンバーに対して、本当によかったねとライブ中何度も心の中で思った。
今まとめたい自分の気持ちは本編のお話ではないけど、ワンマンを開催する度にどんどん熱が上がって加速していくピンボールズに圧倒され続けている気がする。
このまま走ってどこまでいけるかなって楽しみになる。
メジャーが決まったあとのライブで、4人それぞれに手紙を書いた。
手紙を書くのはすごく久しぶりでなんだか緊張した。
昔は結構書いて渡していたなと思い出して懐かしい気持ちになった。
そこに書いたことは、もうほぼ一緒だけど、ピンボールズとファンは同志であり、お互いが日常生活でもなんでも頑張って、ライブで対面したときに、お互いがパワーをぶつけあっていけるそんな関係性でありたいと書いた。
我ながらちょっといいこと言ったんじゃないかと思う笑
でもこれはお世辞とか鼓舞させようとかそういうのじゃなくて、本当に本心で私が多分一番大切に思っていること。これがあればピンボールズは絶対に大丈夫という確信。
ワンマンどころか最近は対バンのライブでもたくさん感じます。嬉しいこと。
さて、前置きはここまでで。
私が今回整理したい自分の気持ちは、この先のこの人達を見ていく自分の変化が怖い
ということ。
私がピンボールズと出会ったのは、2011年あれはいつだったかな、春とか梅雨とかそれぐらいかな。
その頃はスペースシャワーTVをBGMのように垂れ流すのが日課だったから、そのときもそんなふうにして、ほか事しながら耳で聴いていた。
そしたらイントロ1秒でバッと顔を上げるほどの衝撃が聴こえて、それがテンベアだった。
めちゃくちゃかっこいいと思って、バンド名をメモするのを忘れてしまった。
そのままちょっと流れて夏。
友達とナガシマスパーランドに行く途中(これも不思議とよく覚えている)、コンビニで友達を待っている間、ぴあの冊子を見ていた。
トレジャーの欄を見ていたら「THE PINBALLS」の文字が見えて、何か違和感を感じた。
これはもしかしたら前見かけてかっこよかったバンドではと思い、家に帰ってからすぐ検索した。
これだ!私の探してたバンド!!!と思って、バンド名を忘れてしまうという致命的ミスも、ぴあの冊子のおかげで解決できたのである。
もともとトレジャーに行くつもりではあったから、ライブを見れるのがすごく楽しみだった。
それからその頃はまだmixiが流行っていたから、古川さんと森下さんにメッセージ送ったり、マイミクになってくださいとか言ったり笑
森下さんはよく日記とかつぶやきとかにも自らコメントを入れてくれたりしてたのをよく覚えている。
トレジャーのときにリハが聴こえてきて、リハ聴こえた!ってつぶやいたら、聴こえたかなって森下さんがコメントくれたのが何故かすごく印象的な思い出として残っている。
そして初めて見るライブ、トレジャーは海の目の前でロケーション的には最高。
しかも今程お客さんでうじゃうじゃしてるフェスではなかったから、とてもよかった。
初めて見るピンボールズにどきどきした。素通りしていくやつらは色々言っていたけれど、私にとってはめちゃくちゃかっこよかった。
トレジャー後、興奮冷めやらず、初めてライブハウスへも見に行った。
そこで初めてきちんと対面してメンバーと話した。めちゃくちゃ緊張して、なかなか話しかけられなかったのを覚えている。
私のツイッターのアイコンは、そのときに森下さんが描いてくれたもので、変えるタイミングを失いもう何年もずっとこのままだ。
それから名古屋でライブをやるときは絶対に行った。今まで行けなかったのは多分2回くらいしかない。
BUMPを蹴ってピンボールズに行ったこともある笑
昔は人が少なかったし、ときには客よりバンドマンの方が多いんじゃないかみたいなときも1回あった。
全体的にピンボールズのお客さんは少なかった。対バンも的外れのヘンテコなものばかり(と言っては失礼だけど)
だから慣れてくると転換中も森下さんとずっと喋ってたりしたなって思い出す。
本当に多分くだらなくてどうでもいい話ばかり笑
初めてのワンマンが東京で開かれたり、サマソニが決まったり、名古屋でもワンマンしてくれるのが発表されたときは正直嬉しくて泣いた。
7年間、私が一緒に喜んできたこともたくさんあるし、やっぱり演奏中以外の思い出もどうしてもたくさん増えてしまう。
あんまり自覚はないけど、きっと7年間応援してきたという変なプライドも自分の中であるんだろう。
メジャーが決まったとき、色んなことは覚悟していた、はずだった。
色んなことが受け入れられると思っていた。
だって、大前提として私は彼らの音楽が大好きであり、その他のコミュニケーションはそこにただ付随するオプションだったはずだからだ。
私は昨日ライブを見ていて、今後もう話せなくなったりSNSでやり取りもできなくなって、それ以外にも制限がかかることができたら、果たして同じような気持ちでい続けることができるだろうかと思ってしまった。
そんなことを考えてしまった自分にもだいぶショックだった。
現状、古川さんと直接話ができていなくて1年が経った、こんなに悶々とすると思っていなかった。
私は耐えられる気がしなくなって、それならもういっそライブに行かない方がいいとか、私が望んでたことは本当にこれだったのかって、一番思ってはいけないことを思ってしまった。
ファン失格だと自分に失望した。醜い。
いつからか、やっぱり直接コミュニケーションを図ることが、私にとって音楽以外にかけがえのない時間だった。宝物だった。
今までもそこでもらった思い出は数知れず、私の中で大切な記憶として残っている。
何気ないことでも嬉しかったことは覚えてる。
それはもう切り捨てるべきものと、切り捨てなければいけないものと、メジャーの発表を受けてから自分に言い聞かせていたのに。
そう思ったらライブ中悲しくなってしまった。
昨日も古川さんは、みんながいたから今ここにいてここまで来れているんだと言っていた。
その言葉は素直に嬉しくて、きちんと受け止めたし、今までもファンに対してそういう気持ちが溢れてることは知っている。
それに、直接言葉を交わさなくとも、私が一方的に手紙を書いたり、感想をあーだこーだとツイッターにぶつけていればこちらの気持ちも伝わっているから、見えないところできちんと意思の疎通は図れているのにな。
どうしても直接的な確証みたいなものが今まで貰えていたから、足りなくなってしまったんだろう。
一番迷惑をかけてしまう、そんなの私がありたかったファンの姿ではない。むしろ一番嫌いだ。私みたいな人達がいるから、少なからずバンドに悪い影響を与えてしまう。
私は今後こういう気持ちがもっと増えていってしまうのかもしれないと思うと怖い。
何度も言うけど、私はピンボールズのことが大好きで、もう愛しかなくて、私の人生になくてはならないもので、だから失望させたり多大な迷惑をかけるのは本当に嫌なの。
彼らが上に登っていく妨げにだけは絶対になりたくない。
やっぱりこうやって気持ちを整理するのはいいことだ。
今書いてて思った。
私は自分が離れることになるかもしれなくても、彼らがもっと大きくなって幸せになってくれることを一番に思っている。
いちいち私みたいなやつのために立ち止まりはしないのは当たり前だし、そこについていけないやつが振り落とされるべき。
だから私がもう好きなのやめるって言ったら誰も止めはしないし、1秒で終わる。
応援し続けていきたいなら、私がこれからの形に順応していかなければならない。
私にそれができるだろうか。
正直わからないし自信もない。
こうなってしまったのはしょうがない。
誰も悪くない。
私が好きすぎて、ちょっと仲良くなりすぎてしまっただけ。
だってラージとかはそんなに話したりしないから、同じようなことは思わないし、きっと今後もそんなことで悩んだりしない。
ピンボールズは私にとって特別になりすぎてしまった。
けど、ファンを辞める気はさらさらない。
上に書いたような気持ちは確かにずっと片隅にあるけど、それよりもライブを見て幸せだ楽しいなと思う気持ちの方がまだまだ強いから。
しばらく様子を見よう。